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■ LAでホームレスになりかける

LAのピンホール写真

 

1998年から1999年にかけて、ロサンゼルスに住んでました。大学卒業後に1年間有効の就労ビザを取得したので、それを使って就職活動。

アート学部を選んだ時点で就職に不利なのは分かってたけど、まさかこれほどとは!という感じで、職を求めて、アメリカ西海岸を約1ヶ月ほど放浪生活。「ホームレス」ではあるけど、車があるので「路上生活者」ではないという状態。先日観た『ノマドランド』では、こういう家を持たずに放浪する人のことを「ハウスレス」って言ってましたね。もっとも僕は、ロサンゼルスに到着してからはリトル東京近くの安いホテルを拠点にして就職活動をしてましたが。

壁はボロボロ、建具はガタガタ。窓を開けると目の前に隣のビルの壁。なぜかいつもうっすら湿っているツギハギのシーツ。ベッド脇のチェストは全体的に歪んでいて、引き出しの開け閉めにいつも苦労してました。バス・トイレが部屋についてないのは当然なのですが、困ったのは電話もないこと。就職面接の結果を教えてもらうのに、電話番号は必須です。当時は携帯電話なんて無かったですからね。メールを受信できる環境もありません。

どうしたかと言うと、履歴書のコンタクト情報の欄に、ホテルのロビーにある公衆電話の番号を書きました。幸い、ロビーから比較的近い部屋に宿泊していたので、そこの公衆電話が鳴るたびに部屋をダッシュで飛び出して受話器を取る、と。アメリカの公衆電話は、電話をかけるだけじゃなくで、受けることもできるんですよ。

もし、自分が部屋にいないときに公衆電話にかかってきたら、近くにいる誰かが受けて、あとでメッセージを伝えてくれる仕組み。

というわけで、僕のはじめての就職活動はありえないくらいたいへんでしたけど、なんとかギリギリのところで仕事を得ることができました。最初の給料をもらったとき、所持金の残りが200ドルしか無かったですから。日本に帰る飛行機代すら無いという。でも、粘った甲斐があって、大学で学んだアートのスキルを活かせる仕事に就くことができました。

ロサンゼルスで約1年間、宝石アクセサリーを撮影する「フォトグラファー」としての仕事をゲット。ダウンタウンにある、イスラエル人の社長が経営する会社。そこにある、大量の宝飾品を日々撮影する仕事。500万円くらいする高価な機材を使って、毎日ひたすら写真を撮ってました。面白かったですよ。キュービックジルコニアの製品が多かったですけど、中には自分の給料の何年分なのか一生働いても買えないんじゃないかっていうような高価なネックレスの写真を撮ったり。

そこで写真を撮りながら、Photoshopを使った画像編集を覚えて、さらにHTMLやJavaScripを学んでWebサイトも作れるようになりました。

日本に帰国してから、インターネットサービスプロバイダー勤務を経て、ウェブ制作が本業に。主に外資系多国籍企業のクライアントさんのウェブ案件を山ほどやってきました。そして、今もそれを続けています。

卒業後のとんでもない就職の苦労があったおかげで、今の自分があります。ホームレスにはなりましたが、ギリギリのところで諦めずに良かったな、と。

写真は、ロサンゼルスに住んでいた頃に、自作のピンホールカメラで撮った写真。ブリキの缶や、フイルムケースに穴を開けただけの簡単な作りのカメラです。これを持って、よく週末などに近所の風景を撮ってました。


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