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■ アートとの出会い

制作風景

「あの教授のクラスだけは、厳しいから取らない方が良いよ」って、学生たちに噂されているアートのクラスがありました。H教授の「Visual Foundation(視覚基礎)」のクラス。課題が多くて、評価も厳しく、先生がとにかく意地悪だと言うのです。それを聞いた僕は、「へー、面白そう」と思い、H教授のクラスを取ることにしました。

授業を取るにあたって、「準備するものリスト」が渡されました。そこには、クレヨン、のり、鉛筆、カッター、定規など、およそアートのクラスとは思えないような、画材というより文房具ばかりで、まずそこに驚きました。

つまりは、優秀なアーティストであれば道具に頼らず、いかなる道具であってもそれを習得して使いこなせるようになるべきだ、という先生の教え。基本的な道具を使いこなせなければ、高級な画材など宝の持ち腐れであるということで、まずは子供が使うようなクレヨンやパステルを使いながら、絵を描いていきました。

基本的に、授業の時間はひたすら作品の発表と批評をします。自分が描いたものを壁に貼って、それに対してその作品の制作過程や、考えたこと、表現の意図などを発表します。そして、それに対して先生がコメントをするという形式。その、先生のコメントが辛辣というか、作者の心をエグルものが多くて。手を抜いたら一発で見抜くし、そして完膚なきまでこてんぱんに酷評する。そして、ほとんどの作品が酷評される。

そりゃそうです、その視覚基礎のクラスは一般教養課程のクラスなので、大学1年生や2年生が多く、アートに興味がない人もたくさん受講している。一方で、その教授はある意味大学の名物教授でもあるので、結構年配の方でリピートして受講している方もいたりして。作品の質にも差があるのです。H教授の歯に衣着せぬ作品批評で心がすり減っていく学生が多い中、けど良い作品は「これは良い!」ってはっきりおっしゃるんですね。それは、単純に絵がうまいとかだけでなく、その作品に対するコンセプトであったり、背景にあるものがしっかりしていれば、作品の出来栄えは多少悪くても褒めてくれる。きちんとていねいに、しっかりと時間をかけて考えながらつくった作品は、認めてくれるのです。見た目が不格好な作品でも、きちんと作品に対しての思いをプレゼンすると、その評価が変わったりすることも。そして、「ここをもっとこうした方が良い」というアドバイスをしてくれたりもします。

「動物を組み合わせて、想像上の動物を描きなさい」という課題が出たことがありました。画材は、例によってクレヨンで。家に帰って、僕はしばし考えました。古本屋に行って、動物図鑑をいくつか買ってきました。そして、しばらく僕はその図鑑を眺めていたのですが、ふと思いついて、複数の動物を組み合わせて絵を描く代わりに、図鑑をそのままちぎってコラージュにして作品をつくろうと思いつきました。というわけで、図鑑に載っているいろんな動物の写真をビリビリと手でちぎりながら、その破片を組み合わせて、大きな頭蓋骨の絵を制作しました。遠くから見ると頭蓋骨ですが、近くで見てみるとアンテロープや、魚の口や、巻貝などの写真が組み合わさっているという作品。

この作品を、H教授はめちゃめちゃ褒めてくれました。そして、褒めてくれただけでなく、「気に入ったから、絵を譲ってほしい」とまで言ってくれました。それは、ジョークだったのかもしれないですが、僕はその絵を教授にプレゼントしました。

そのクラスを受講したおかげで、僕はアートに興味を持ち、その後も大学のアート関連の授業をどんどん受講していきます。当時僕は人類学を学ぶ予定だったのですが、あまりにもアートが好きになり、アートのクラスを取りまくっていったため、とうとうアート学部に移籍することにしました。アメリカの州立大学では、学部間の移動が可能だったので。おかげで、大量に取ったアートの単位が無駄にならずにすみました。

専攻したのは陶芸彫刻学科だったのですが、大学での担当教授はH先生にお願いしました。在学中、奨学金についてのサポートをいただいたり、個展の相談や、進路についてなど、いろいろお世話になりました。 H教授の授業に出会ってなかったら、きっと僕はあんなにもアートが好きにはならかったと思うし、アート学部に転部することもなかったと思います。学生時代に、H教授がきっかけで、アートに出会うことができて本当によかったと思っています。


壁画

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